コラム

コラムNO.1

2015.03.18

しあわせとは何か?

最初のコラムのテーマはこれにしようと思っていました。

よくカウンセリングでも「人間は何のために生きているのか」といったことを聞かれることがあります。もちろん答えは一人一人違うのだと思いますが、突き詰めて考えてみると、

「人間はしあわせになるために生きている」

と言えるのではないかと思います。

これは「生きている以上しあわせにならないと意味がない」ということではなくて、生きる目的を突き詰めると“しあわせになりたいから”以外にはないのではないか、ということです。

高校時代、よく放課後に教室に残ってはクラスメートとくだらない話をしていました。
私は昔からいろいろなものにあまり興味がなく、高校時代も部活は帰宅部。でも、私が通っていた高校には少し変な奴等が集まっていて、その中でも特に私のクラスは変な人間が集まっていたように思います。そのおかげで帰宅部でも特に浮くこともなく、むしろ似たような仲間たちとくらだない話で盛り上がれたのです。

ある日の放課後。

いつものようにくだらない話をしていると、ふと、「なぜ自分たちにばかり不幸なことが降りかかるのだろうか」という話題になりました。
当時、私を含め放課後教室に残っている帰宅部の生徒には、少なからず“しあわせ”とはほど遠い感覚がありました。それに対して、部活に打ち込んでいる他のクラスメートたちは、自分たちのようにあれこれ悩んだりせずに、ただ何も考えずに青春を謳歌している“しあわせ”な人たちに見えたのです。
そしてそれはとても不公平なことのように思われました。
(今で言う「リア充爆発しろ!」っていう感覚に近いんでしょうか(笑))

そんなとき帰宅部の一人が「あいつらも一度くらい ひどい不幸に襲われてみればいいのに」と言いました。

私はそれに対して何気なく

「いや、きっとダメだと思うよ。彼らはそういうひどい不幸に襲われたとしても、おそらく何も感じないよ。もちろんその瞬間は泣いたり落ち込んだりするんだろうけど、俺たちみたいな絶望感を感じることなんてきっとないんだよ。」

と答えました。

「あー、そうだろうなぁー。」
「だよなぁ~。これだからまったく何も考えない奴らはいいよなぁ~。」

周りはそんな風に反応していましたが、私は自分の今言った言葉についてぼんやり考えていました。

(まったく同じような不幸な出来事に襲われて、片方はしあわせなままで、片方は絶望的になるなんて、よく考えたらすごいことじゃないのか? だって、それが本当だとしたら、世の中には『不幸な出来事』や『絶望的な出来事』なんてものは存在せず、存在するのは『しあわせな人』と『不幸せな人』だけってことになるんじゃないのか??)

そこまで考えて、あッとある考えが自分の中にひらめきました。

このときまで私はまったく気づいていませんでした。

部活に打ち込んでいるような彼等を「何も考えない奴ら」とどこかで見下し、「あんなふうに何も考えない人間にはなりたくない」と考え、そしてそのことで自ら不幸になることを選択していたんだということに。

これって、我々も彼等と同じように考えて、同じように過ごせば、“しあわせ”になれるってことなんじゃないだろうか。
この考えに気づいてしまった瞬間に、自分の中にすごい発見をしたときのような驚きと、見てはいけないものを見てしまったような後悔に似た感情が湧きあがって来たのを覚えています。

このことに気づいてから、自分の中で“しあわせ”というものの見え方がまったく変わってしまいました。
絶対的にしあわせな出来事や不幸せな出来事なんてない。絶対的にしあわせな人と絶対的に不幸せな人がいるだけだ。しかもそれは生まれや育ちで決定しているものなんかではない。そういう生き方を選択するだけで、いつでも誰でも“しあわせ”になることを選ぶことができる。

これは私の人生の中でも本当に大きな気づきだったと思います。

もし、今あなたが

  • 「○○があるから不幸だ」
  • 「●●がないせいでこんな絶望的な気持ちになっているんだ」
  • 「△△があればしあわせになれるのに」
  • 「■■がなければもっと素敵な人生だったはず」

…等と考えているのであれば、それは幻です。

例えその●●や△△が手に入ったとしても、○○や■■がなくなったとしても、あなたは変わらず不幸なままです。

なぜなら、それはあなた自身がそれを選んでいるから。

あなたが“しあわせ”になる方法は簡単です。

あなたの周囲にいる人で、あなたが「なんであんな人がしあわせなんだ!」と考えている人を思い浮かべてください。そして今からその人と同じような振る舞い、同じような考え方をしてください。
それだけであなたは“しあわせ”になることができます。

え?

そんな人間になるくらいなら死んだほうがマシだって?

ほら、また“しあわせ”ではなく、不幸になることを あなたが 選んでいますよね?

“しあわせ”な人はそんなことを考えないんです。

でも。

もちろん私にはあなたの気持ちが痛いほどわかります。

なぜかって?

私もこの“しあわせ”の法則に気づいてから、すぐに“しあわせ”になれたわけではありません。
やっぱり、今まで見下していた人たちと同じように考え、同じように振舞うというのはなかなかハードルが高く、本当の意味で体得できるまでになったのはそこから3年ほど時間がかかったことをここに告白します(笑)

今まで見下していた人たちのように振舞うのは、やっぱりキツいんです。
でも、そもそもなぜあなたはその人たちを見下していたんでしょうか。
そう、本当に問題なのはなぜあなたがその人たちを見下す必要があったのか、ということです。

これはなかなか一人で向き合うのにはキツい問題だったりします。

もし“しあわせ”になるためにサポートが必要なようであれば、ぜひカウンセリング・カフェまでご連絡ください。

適切なサポートがあれば、きっと私よりもずっとずっと早く“しあわせ”にたどり着けるはずですので。

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